12/26/2009

神経科学の実験技術ガイド

The Guide to Research Techniques in Neuroscience presents the central experimental techniques in contemporary neuroscience in a highly readable form.
- William T. Newsome

MRIの画像処理をしている人でも「ゲルのバンド」を読めなければいけない。タンパク質の解析をしている人でも「スパイクのラスター」を読めなければいけない・・・

神経科学の研究をやっていくには、いろんな実験法を幅広く理解しておかないといけない。

そのためのガイドブックともいえる、Guide to Research Techniques in Neuroscienceという本が最近出版された。

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現代神経科学は、カハールがゴルジ法を使って、神経系の構造を記述することで始まった。それから100年以上の年月を経て、今では、一人ではとてもフォローしきれないくらい多くの実験法が脳研究で開発・応用されてきた。

では、
主に使われている実験法はどれくらいあるだろうか?
それを網羅した情報源はあるだろうか?
そんな情報がウェブにあったとして、それは、なじみのない人にもわかるよう噛み砕かれて説明されているだろうか?

その3つを満たしそうな本がGuide to Research Techniques in Neuroscienceという本。

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この本はスタンフォード大のコースをもとに書かれているようで、MRIや動物行動実験から、電気生理学、組織学、光学、分子生物学、生化学まで、現在主に使われている、あるいは使われつつある実験方法の原理と簡単な流れが網羅されている。

本は14章から成り、各章のトピックは以下の通り(自分なりに英語を意訳してます):
第1章:全脳イメージング(MRIなど)
第2章:動物行動(げっ歯類、ショウジョウバエ、線虫が中心)
第3章:脳定位手術(脳に手術を施す方法論全般)
第4章:電気生理(細胞内・外記録など)
第5章:顕微鏡(光顕、電顕)
第6章:解剖・組織学的方法論(各種染色法)
第7章:細胞・シナプスレベルのイメージング(含、オプトジェネティクス)
第8章:遺伝子スクリーニング(含、分子生物学の基礎)
第9章:DNAテクノロジー(PCR、シーケンスなど)
第10章:遺伝子導入法(ウィルスなど)
第11章:トランスジェニック法(Gal4やCreなども)
第12章:内在遺伝子操作法(ノックアウト、RNAiなど)
第13章:細胞培養技術(含むiPS)
第14章:生化学・細胞内シグナリング(ウェスタンからChIPまでタンパク関連)

各章のスタイルはこう:まず、この章を読めば何を学べるか、カバーしている方法が箇条書きされている。続いて、簡潔な概論から各論へ移り、最後に参考文献が紹介されている。

各章は独立しているので、興味のある章を読んでいく参考書的な使い方をすれば良い。また、さらに興味があれば、参考文献を調べて理解をより深めることが可能。

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4つの研究法

本のイントロとして、研究レベルを問わず一般的に当てはまるであろう4つの研究戦略が紹介されていた。

その4つとは、
1.ケーススタディー(examining case studies)
2.スクリーニング(screens)
3.記述(description)
4.操作(manipulation)

1は、実験というより、レアな臨床報告のように、脳の働きについて語ってくれる事例のことを指す。例えば、最近脳のスライス作りがウェブキャストされたことで話題になったH.M.ことHenry Molaisonさんや、Phineas Gageの話が典型例。

ラマチャンドランの「脳のなかの幽霊」オリバーサックスの本はそのケーススタディーのオンパレードといえば良いか。一般の人にはもっともなじみのあるトピックではある。

そして2以降が、多くの研究現場で普段行われている研究戦略になる。

2の「スクリーニング」は、特定の脳機能に関わる脳領域、ニューロン、遺伝子を発見する、といった類の研究。

3の「記述」は、遺伝子発現、ニューロンの活動、脳のつながりなどを単純に観察する、といった研究。

そして4の「操作」は、外部環境や脳のある特性を操作して、その効果を調べること。Xを操作したらYはどう変化するか、を調べること。分子生物学を応用した研究で最も成功している。

ちなみに、本文中には、この操作実験でのデータ解釈に関する注意書きもあって参考になる。実際、ここで書かれているミス(拡大解釈)をやるケースがある。


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この本はすばらしく良い本だけど、最大の問題は、いわゆる計算論について記述がなく、冒頭にその断りすらないこと。脳を理解するのに計算論は不要だという神経科学者はあまりいないはず。

なので、この本のタイトルは、Guide to Research Techniques in Neuroscienceというより、Guide to Experimental Research Techniques in Neuroscienceがより正確かもしれない。

また、プロの人にとっては、自身の専門技術が解説されている章を読むと、少し物足りなさを感じるかもしれない。

このような改善点はあるけれど、この本は多く方法を網羅している上に参考文献も充実している。なので、直接関わっていない方法論を知りたい時の参考書として最適で、神経科学を志す大学院生、あるいは神経科学へ参入を考えている研究者の壁を取り除いてくれる良書であるのは間違いない。

この本は、大学院生から最先端で活躍している研究者まで、幅広い人に強くお薦めできます。