5/17/2008

トレーニングと知能

最近、ワーキングメモリーをトレーニングすると、流動性知能(fluid intelligence)と呼ばれる知能が向上する、と主張する論文が報告され話題になった。日本語でもwired visionの記事などが見つかった。

結果を一般化するのはまだ早いとは思うが、おそらく今回の研究は、今後の知能・知性研究に大きなインパクトを与えそうな気がする。自分は、心理学の知能研究は全然知らないのだけども、その論文の解説記事(commentary)が最近出て非常に勉強になった。

今回は、この解説記事やウェブで見つかる情報を参考にしながらエントリーを立ててみる。

(*誤り・誤解があるかもしれないので、あればぜひ指摘してください

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二つの知能
知能(intelligence)は、流動性知能(fluid intelligence)と結晶性知能(crystallized intelligence)の二つに分けられるらしい(wikipedia)。

と、いきなり難しい専門用語が登場する。

前者は新しい問題・環境に直面した時にそれを解決する能力、後者はスキル・知識・経験を活かす能力を指すようだ。いわゆるWAISというIQテストでは、動作性検査(performance scale)に流動性知能が反映され、言語性検査(verbal scale)に結晶性知能が反映されているのでは、という説もあるようだ。(wikipedia

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流動性知能は生まれつき?
流動性知能は果たして遺伝的に決まるのか、それとも経験によって変化しうるのか?という論争が40年来続いているらしい。(今回の研究は、経験によって変化することをサポートしたことになる。)

にもかかわらず、ウェブで検索すると、流動性知能は「むしろ生まれながらもっている能力に左右される知能を言います」と言いきっているページ、しかも一見信頼性の高いように見えるページ、すら見つかる。

それはともかく、実際の研究分野ではまだ結論が出たわけではないようだ。

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ワーキングメモリーと流動性知能
新しい研究の流れとして、10年くらい前から流動性知能とワーキングメモリーとの関係が注目を浴びているらしい。ワーキングメモリーとは、情報を一時的に保持したりそれを操作したりする脳内プロセス、とでも言ったら良いだろうか。例えば、電話番号を聞いて、それを覚えて電話をかける、といった時、ワーキングメモリーが働いている。トランプの神経衰弱もワーキングメモリー課題の典型か。

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今回の論文のアウトライン
では、ワーキングメモリーの能力をトレーニングしたら流動性知能が変化するか調べてみよう、というのが今回の論文のモチベーション。そして、流動性知能は確かに適切なトレーニングによって変化しうる、ことを示した。

研究でやったことは、実験参加者にn-back課題と呼ばれるワーキングメモリーを使う課題をトレーニングして、それに伴って流動性知能が向上するか調べた、といういたってシンプルな実験。

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n-back課題と研究結果
研究で使っているn-back課題は、すでにウェブ上で再現している人がいるので説明しやすい。

刺激としては、視覚聴覚の刺激が同時に出る。視覚刺激は、3x3のマスのどこか一つが黒に。聴覚刺激はCやPといったアルファベットの音声。その刺激セットが0.5秒出て、2.5秒のインターバルをはさんでは、次の刺激、、、と次々と出る。

課題としてやることは、n回分前と今の刺激を比べて、視覚と聴覚刺激それぞれが同じかどうか答えること。

例えば、1-back課題は、直前の刺激と比べるだけだから非常に簡単。2-backになると2回分覚え、3-backになると3回分覚えないといけないから、どんどん難しくなる。

研究ではそんな課題のトレーニングを実験参加者に8-19日かけてやってもらい、流動性知能がどれくらい変化するか調べた。すると、トレーニングによってワーキングメモリーの能力が向上し(n-backのnがどれくらい増えるかでワーキングメモリー能力を測る)、しかも流動性知能も向上することがわかった。

しかも、トレーニング期間が長いほど流動性知能がより向上することがわかった。

流動性知能の評価は、「レーベン漸進的行列テスト」なる知能テストとそれに似たテストを使って測ったようだ。その知能テストの内容は、例えばこちらか。いろんなパターンをもつ幾何学図形がでて、一箇所だけ欠けているパターンを類推して、選択肢から探し出すというテスト。パターンのルールを見つけ出して、何がかけているか類推しないといけない。

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研究の結論
結論としては、ワーキングメモリーを鍛えるトレーニングによってワーキングメモリーそのものだけでなく、流動性知能も向上しうる、ということになる。つまりは、流動性知能は経験によって変化する、ということになる。

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将来の課題
この論文の解説記事で、将来の課題を8つ挙げていて非常に参考になった。やや専門的ではあるが、その8つを箇条書きしてみる。科学のプロセスを学ぶ上でも参考になると思う。

課題1:他のワーキングメモリー課題でも同じ結果が得られるか?

課題2:他の流動性知能にも影響が見られるか?

課題3:リアルワールドでの効果はどの程度か?(生活・仕事上での問題解決能力も向上するか?)

課題4:論文の著者たちは予測能力の向上について言及しているが、実際にトレーニング後に向上するか?

課題5:今回見れた流動性知能の向上はどれくらい維持するか?

課題6:プラセボ効果を調べる課題条件を試したらどうか?(ワーキングメモリー課題の対照課題の必要性)

課題7:追試で結果を再現できるか?

課題8:今回の実験はベルン大学コミュニティーの平均25.6歳の若者が対象だったが、それを一般化できるか?

個人的に重要だと思ったのは、3と5と8。

3のリアルワールドでの効果は、測るのは難しいけど、トレーニングをすると仕事のパフォーマンスが上がって、結果的に仕事の業績に結びつく、といった形で現れるのだろうか?気になる。研究として調べるのは難しい問題ではある。

5について。流動性知能がトレーニングによって向上するとしたら、その逆も当然考えられる。つまり、トレーニングを三日坊主でやめると、せっかく上がった流動性知能はもとに戻るかもしれない。今回の研究で使っている課題を実際にやってみるとわかるけど、このトレーニングを続けるのはなかなかタフである。モチベーションを維持するのは難しそうだ。

もし今回の実験参加者たちの「今の流動性知能」がもとのレベルまで戻っているとすると、何となく虚しい。

逆に言えば、「努力する能力」こそが知能を支えているのでは?とすら思えてしまう。努力する能力を測るテストはあるのだろうか?努力する能力をトレーニングすることこそが脳トレの最重要課題では?とすら思えてしまう(あくまで個人的意見)。

課題8について。今回の参加者は若い。年齢によって効果が違うかどうか、というのは非常に重要な問題。

いわゆる臨界期のようなものがあって、ある一定年齢までにワーキングメモリーのトレーニングをすると、流動性知能が高止まりする、といったことに結びつくのか非常に興味がある。5の問題と絡めて、いつトレーニングすると、どれくらい効果が維持するか?、という問題は面白い気がする。

また、今回の結果をうけて、ボケ防止に効く!として、年配の方が鵜呑みにしたり、それをお金儲けに結びつけるのは少し早い。なぜなら、年配の方で同じ効果が見れる保証はまだないから。

非常にデリケートなトピックだけに、慎重になりたいところである。

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文献
Proc Natl Acad Sci U S A. 2008 May 13;105(19):6829-33. Epub 2008 Apr 28.
Improving fluid intelligence with training on working memory.
Jaeggi SM, Buschkuehl M, Jonides J, Perrig WJ.
センセーショナルな今回の論文。

Proc Natl Acad Sci U S A. 2008 May 13;105(19):6791-2. Epub 2008 May 12.
Increasing fluid intelligence is possible after all.
Sternberg RJ.
上の論文の解説記事。
この研究分野の歴史、研究内容、そして将来課題を簡潔にまとめていてお薦め。

update:関連書籍
ワーキングメモリの脳内表現
日本語の本としてワーキングメモリ研究の現状を学ぶには良さそうです。

Intelligence and How to Get It: Why Schools and Culture Count
ごく最近発売された本で、知能と環境の関係を詳しく扱った洋書です。ニューヨークタイムズでの書評

Working Memory and Academic Learning: Assessment and Intervention
こちらの本は、教育という観点からワーキングメモリーについてまとめた洋書として良さそうです。



1 comment:

Anonymous said...

Shuzoさんへ
流動性知能(fluid intelligence)と結晶性知能(crystallized intelligence)、コンピューターでアナロジー(Analogy)すると、メモリー(RAM)とハードディスクの関係に似ていると思いました。

メモリー容量は遺伝にも関係するような気がしますが、例えば1GBあるとして、普段、数十MBしか使っていなければ、そこから先が壊れて使い物にならない状態でも、そこまで使ってみないと解りませんよね。

まあ、生物的メモリーの場合は“修復”されると思いますけど(修復が効きにくい、或いは修復不能の箇所もあるのでしょうね)。

それと、メモリー(RAM)からハードディスクに行く場合、コンピューターなら、メモリーオーバーしたらハードに行くのでしょうけど、生物の場合は、何らかのフィルタリングがされているのでしょうね。

まあ、余りにも単純化したアナロジーですけど……。

でも、普段使っていない部分のメモリーを使うと、最初は動きにくかったメモリ-内のSW(シナプス結合)が、生物メモリーの場合は(電気&化学的に)動くようになってきたり、修復されてきたりするような気がします。そして、その修復の早さは個人差があるでしょうけど、例の“ラーニングカーブ”になってくるんのではないかと思います。とすれば、一般的にS字曲線になるラーニングカーブ、あの“停滞期”に、生物メモリーは動くようになったり、或いは修復されているのでは……なんぞと想像してしまいます。

生物メモリーの修復が、脳のシナプスの形成だとしたら、加齢は明らかに(個人差はあるでしょうけど)、メモリー修復に時間がかかる。この辺りは完全にShuzoさんの領域ですね。

でも、『老人でも脳細胞は減ってるけれども、シナプス結合の勢いは盛ん』とか、科学番組で言ってたような記憶がありますから、おじさんになったわたしでも、絶望しなくてもいいですよね。

ところで、老人性痴呆って、昔の事は良く覚えていて、最近の事を忘れてしまうようですね。もうさっきやった事、今からやろうとしていた事を忘れちゃう。と言う事は、ハードディスク(結晶性知能)よりメモリー(流動性知能)の方が壊れやすい(機能しにくくなりやすい)ってことでしょうかね?

“脳”のどの部分が結晶性知能を担っていて、どの部分が流動性知能を担っているのかですけど、流動性知能を担っているシナプスの方が、事実“流動性”が高くて、変性しやすい性質を持っているのでしょうか?

加齢するにつれて、そんな事も気になってきます(^^;)。(もうすぐ『痴呆』か?)

P.S.
ちょっと単純化しすぎたかも知れませんが、素人なんで、この辺りが限界かと思います。でも「本当に”脳”って奥深くて、面白い」ですね~。