3/07/2009

柔軟な脳の柔軟さ

以下の本のレビューです。

京都大学学術出版会
脳の情報表現を見る
櫻井芳雄
1,890円

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The problem of understanding behavior is the problem of understanding the total action of the nervous system, and vice versa.
-D.O. Hebb (1949)


脳はどのように働いているか?この謎はまだ解けていない。脳が働くのに大事な神経細胞(ニューロン)は、シナプスを介して複雑な回路を作っている。

とすると、一個一個ニューロンを調べていくのではなく、ニューロンが集団・回路としてどのように働くか調べないと、脳がどのように働くか、そして広い意味での行動を、理解できそうにないのは自明のように思える。

このように考えた時、カナダの心理学者ヘッブが、ちょうど60年前に提唱した「セル・アセンブリ」、そして「フェーズ・シーケンス」というコンセプトは、後世の研究者に大きな影響を与え続けている。

今回紹介する本の著者である櫻井教授の言葉を借りれば、そのセル・アセンブリとは、「同時に活動するニューロン間の機能的シナプス結合が強化されることで作られていく機能的なニューロン集団」(p32)であり、そのセル・アセンブリが特定の情報表現のために次々と形成されていくことをフェーズ・シーケンスと呼ぶ。

このヘッブのコンセプトを支持する実験データは、計測技術の発展に伴い、過去10~20年くらいでしだいに増えてきたが、日本で早くからこの本質的な問題に、真正面から取り組んできた研究者が著者の櫻井教授である。

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「協調的かつ柔軟に働く神経集団」に注目した脳研究の現状を知りたい時、この「脳の情報表現を見る」という本は良い本である。櫻井教授自身の過去と現在の研究、そして将来の研究方向、さらには研究フィロソフィーを知るのにも非常に良い。また、脳が如何に柔軟にできているか知る研究例がいくつも紹介されている。

自身も認められているように、一部の章でニューロン活動計測に関する専門的な話が登場する。が、これは裏返せば、実際の研究現場を知れる貴重な本とも言える。また、一貫して簡潔で平易な表現で書かれており、本全体を通して非常に読みやすい。

本ではまず、櫻井教授の研究フィロソフィーが述べられ、導入として上述のセル・アセンブリのことが説明されている。そして、15年以上にも及ぶ自身の研究戦略とその成果が紹介され、この数年間精力的に取り組まれているBMIことブレイン・マシン・インターフェースの研究分野、その過去と未来が簡潔にまとめられている。

そして後半の第6章からは、それまでのトピックからは少し離れ、脳の情報表現とそれを支える神経回路、そしてその柔軟性に関するトピックがわかりやすく紹介されている。

脳は如何に柔軟にできていて、働いているか、それが幅広い観点から議論されている。

特に最終章では、一部の脳機能が一旦損なわれても、年齢を問わずその機能が代償される例が紹介されている。これは、柔軟な脳の基盤とも言える「神経可塑性」の潜在能力を如実に現している例とも言える。

この本の一つのメッセージは、脳は柔軟にできているのだから、その脳を研究する人も頭を柔らかく使え、だと肝に銘じた。

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上述のように、この本は簡潔にまとめられた良い本である。もちろん、世の中に完璧な本はないので、気がついた問題点をフェアに指摘しておく。

まず、紙面の都合もあるだろうが、欲を言えば、文章の根拠となる参考文献がもう少し充実していればなお良かった。一部、まだ研究者間でコンセンサスが得られていないのに、一つの反例だけから、従来の説があたかも完全に否定されてしまったと誤解される表現もあるように思う。そのような誤解は、根拠となる参考文献をバランス良く充実させることで、少しは回避させられるだろう。

また、記憶の分類について、同じコンセプトを示しているのに、前後の章で異なる呼び方がされていた。これは、一般読者に混乱を招くかもしれない。とはいえ、これらの問題点はマイナーであり、この本の価値が損なわれるものではない。

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最後に、僕は「あとがき」に強く共感した(もちろん全体的に共感しているわけではあるけれど)。その前半に、一般社会への「脳」の氾濫に対する警鐘が書かれている。おそらく、まじめに取り組んでいる神経科学者だけでなく、この本を読まれるであろう賢明な一般読者の多くも、このあとがきと同じ意見を持たれているのではないだろうか。

これに関わらず、櫻井教授が書かれる批判的な文章のするどさにはいつも勉強させられる。その意味では、自然を学んでいく上で重要な、批判的姿勢を身に付ける上でもこの本は一読の価値がある。

その批判的な姿勢を磨いていくには、柔軟な脳を柔軟に使え、ということなのだろう。

4 comments:

阿頼王 said...

Shuzoさんへ 最近(今回も)かなり専門的なお話が多くて(しかも英語論文=当然ですけど)、なかなか素人のわたしの入り込めるようなエントリは無い(実は今回もですけど^^;)のですけど、

脳を研究されているShuzoさんにこんな事を言うのはどうかなとも思ったのですけど、脳(或いは“脳機能”)を『頭の中にある“脳”に限定して理解しようと言うのは、実際上は“無理がある”のでは無いかな?』なんて考えて居ます。

実際には、五感で感じ取った(色、匂、味、音、感触)が生じた瞬間に(もちろん“頭の中の脳機能”も重要な役割を司っていますけど)、『自我意識』が生じますよね。『眼は脳の一部』とは良く言われますけど、それで言うと、
『実は、脳は、頭蓋の中にある“脳”だけの事を言うのでは無く、全身(の感覚器官)を含めて“脳”って言うべきなのでは無いか』と素人としては思うのですけど、どうなんでしょうか?
(だから、脳機能障害になった人のリハビリは、身体を動かす事に始まるのは、すごく理解できるのですけど)

もし、
「そんな事は、既に“脳科学”の常識」
だったら済みませんです。

そういう意味で、櫻井先生の、
『the total action of the nervous system』って、凄く共感出来るのですけど、勿論(全く自慢になりませんが)、櫻井先生の御著書を読ませて頂いて居ませんから、全く“ピント”がずれて居るかもしれませんけど^^;

ykenko1 said...

Shuzoさん、こんにちは。Shuzoさんのお勧めで桜井先生のこの本を読んでみましたが、その研究姿勢に感動しました。このような日本人研究者がいることに同じ日本人として誇りに思います。今後も更に素晴らしい研究成果を出していって頂きたいと祈るばかりです。

ところで桜井先生が脳文化人として批判されているのは茂木さんのことだろうな、と思いましたが、茂木さんは博識だし文章がうまいので、文学者としては結構好きです。

Shuzo said...

ykenko1さん、ご無沙汰しております。
きっと櫻井先生も喜ばれると思います。

「脳文化人」ですが、茂木さんかどうかは、櫻井先生ご本人に聞かないとわからないですが、必ずしも特定の人物を指されているというより、世の中の傾向を憂う代名詞として使われているのかもしれませんね。実際、アカデミックな肩書きをかざして、「トンデモ」な部類に入る本を出版している方は複数いらっしゃるように私には見えますし。。。

誰?とは聞かないでくださいませ。。。

あと、櫻井先生は茂木さんの処女作の書評を、かなり前ですが、書かれていました。なので、もしかしたら「脳文化人」とは別の人かもしれませんよ!

と、フォローになっているかわかりませんが。。。(汗)

あくまで読み手の解釈の問題かと。。。

ykenko1 said...

済みません。ちょっときつい事を書いて、Shuzoさんを辛い立場に立たせてしまいました…orz。

あくまでも一般論ですよね。今の世の中の風潮に対する。そういう事にしておきましょう!