12/15/2007

人工内耳と脳の適応 パート2:実際に起こる脳内変化

人工内耳と脳の可塑性についての第二弾。今回は動物実験ではあるが、人工内耳を取り付けたら、実際脳が適応的に変化したことを報告した論文を2つほど。

動物の人工内耳、というとはじめ意外だったけど、少なくともネコとモルモット用の人工内耳は開発されていて基礎研究に利用されているようだ。今回は、その中で「ネコの脳の可塑性」というテーマを扱った論文を読んでみた。

問題意識は、人工内耳を取り付けることで、脳のどこで、どんな変化が観察されるか?ということ。

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聴覚情報の流れ
まず予備知識として、聴覚情報の流れを簡単に。英語版wikipediaのAuditory systemも参考に。

有毛細胞→聴覚神経→蝸牛核→上オリーブ核(複合体)→下丘→視床(内側膝状体)→一次聴覚野→・・・

ただし、実際の解剖は、途中の神経核をスキップする線維があったり、逆方向の線維があったり、ここに書いていない神経核へ情報が「リーク」したりと超複雑。

ちなみに、前回のエントリーにあったように、人工内耳は蝸牛の聴覚神経を直接電気的に刺激して、聴覚情報の流れを回復させる。

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聴覚野の応答変化
はじめの論文は、1999年サイエンスに掲載された論文

先天的に聴覚障害を持つネコに人工内耳を取り付けたら、音に対して反応・行動できるようになり、一次聴覚野で聴覚応答が観察されるようになったことを報告している。

1973年にMairという人が先天的に聴覚障害を持つネコを報告しているようだ(文献情報)。ここで紹介する1999年の論文では、そのネコに注目し、人工内耳を数ヶ月間取り付けている。

まず、そのネコの行動を観察している。
音が鳴ると「耳たぶ」がピクッと動く反射行動が見れたり、音で目覚めることが観察されるようになったそうだ。さらなる確認のため、パブロフの犬のような条件付けのトレーニングしている。具体的には、特定の周波数の音がなると、餌がもらえることを学習させる。音が鳴ったら、餌のところに移動するかを調べて、学習したか評価する。その結果、1-3週間のトレーニングで、装置を取り付けたネコの条件付けに成功したとしている。つまり、人工内耳を取り付けたネコも行動的に音が聞こえている、ということがわかる。

では、脳の反応はどう変化するか?

次の実験では、聴覚野に音の情報が伝わっているかを調べている。装置を取り付けたネコ、装置を取り付けなかった先天異常を持つネコ、先天異常を持たないネコ、この3グループの聴覚野ニューロンの応答を計測し、比較している。

その結果、装置を取り付けたネコでは、
1.音が鳴った直後(30ms以下)に現れる応答が、取り付けなかったネコより大きくなる。
2.音が鳴ってから100-150ms後くらいの応答が現れる。(取り付けなかったネコでは観察されない)
3.人工内耳を取り付けた期間が長いほど、1の応答が大きくなり、その大きな応答をする聴覚野の領域が広くなる傾向がある。
4.6層構造を持つ聴覚野の中でも、視床から入力を受ける層と上層で大きな電流が流れるようになる。
ということがわかった。

3,4については、先天異常を持たないネコと比べても大きい傾向があるようだ。
以上が研究でわかったこと。

ということで、先天異常を持つネコでも、人工内耳を取り付けることで一次聴覚野が聴覚刺激に反応し、音に対して行動できるようになることがわかった。

では、その脳の変化は一次聴覚野に限ったことなのか?次の論文では、もっともっと早い処理段階でも変化が起こったことを報告している。

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シナプス構造の回復
次の論文は、2年前サイエンスに報告された論文

聴覚神経の神経終末が、人工内耳を取り付けることによって構造的な変化を起こす、正常な構造に戻る、ことを報告した論文。

しつこいけど、解剖のおさらい。
有毛細胞→聴覚神経→蝸牛核

この経路で、聴覚神経の終末をエンドバルブ(endbulb)と呼ぶ。聴覚神経→蝸牛核のシナプスの出力側が、エンドバルブ。そのエンドバルブは、他の脳内のシナプスを見渡しても巨大、という点も大きな特徴。

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さて、この論文でも先天的に聴覚障害を持つネコに注目し、人工内耳を取り付けている。そして、3ヵ月後のエンドバルブの構造を電子顕微鏡で調べている。

なぜ、エンドバルブの構造に注目したか?
聴覚は「処理スピード」が大事な感覚で、エンドバルブは的確な処理スピードを実現するのに適していそう、ということが言われているから。先天異常をもつネコの聴覚神経は異常な構造を持つことがわかっていたから。

ということで、人工内耳を取り付けると、その異常になっていたエンドバルブが変化を起こすのではないか?正常な構造に戻るのではないか?という仮説を立てて、それを検証したわけである。

研究からわかったことは、
1.先天異常を持つネコのエンドバルブは肥大化している。
2.人工内耳を取り付けることでエンドバルブのサイズが小さくなり、もともと正常な聴覚機能をもつネコのそれと同等になる。
ということ。

他にも、そのエンドバルブにあるシナプス小胞(神経伝達物質を含む小胞)の数が増えることがわかった。情報を伝えるという意味で、機能に直接結びつく構造的な変化と解釈しても良さそう。

ということで、人工内耳を取り付けて聴覚の信号が入力されると、異常だったエンドバルブが構造的に正常な状態に回復する、ということになる。

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以上二つの論文から何を学べるか?

少なくとも一次聴覚野と聴覚神経で可塑的な変化が見られる。他にも下丘での変化を報告している論文もある。おそらく聴覚経路のいろんなところでいろんな変化が起こるのだろう。

もちろん、ネコの研究を直接人に当てはめるわけにはいかないけど、人の脳でも何らかの構造・機能的変化が起こって、聴覚機能を回復していくのではないかと想像される。他にもリップリーディングといった、他の感覚を利用したり、トップダウン的なレベルの変化というのも想像できそうか。とすると、聴覚系を超えたいろんなところで柔軟な変化が起こっている可能性もある。

今回のケースでは、先天的に障害を持つネコを対象にしていた。
では、後天的というか、加齢と共に聴覚障害を負った場合はどうか?という疑問は現時点では完全に欠けているように思われる。いわゆる「クリティカルピリオド」の発想をどこまで適応できるかわからないが、もし仮に視覚野のそれをあてはめて考えると、生後数年経った動物を対象に同じ実験を行ったら、果たして同じことが見れるのか?もし違う変化が見られるなら、どう違うのか?といったことに興味がわく。また、その変化を促進できる方法はあるか?

もっともっと基礎研究的な観点から次のような素朴な疑問もわく。早い時期に聴覚を回復したケース、後期に障害を負って機能を回復したケース、そして通常、という3つのケースで「聞こえ」は、どれくらい似ていて、どれくらい違うのか?

とにかく、いろんなことがわからない。

今回いろいろ調べている過程で、このテーマに関連した研究分野のうち、遺伝子レベルの研究がかなり進んでいることがわかった。ひょっとしたら次回、そのトピックを扱うかも?です。

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参考文献
Science. 1999 Sep 10;285(5434):1729-33.
Recruitment of the auditory cortex in congenitally deaf cats by long-term cochlear electrostimulation.
Klinke R, Kral A, Heid S, Tillein J, Hartmann R.
前半で扱った論文。
聴覚野でのみ変化が起こったことを主張するには、若干データが不足している(だからか、聴覚野でのみ変化が起こった、とは主張していない)。行動データのコントロールが若干不安(人工内耳を取り付けていないネコのデータを出していない)。が、とにかく興味深い結果。早い反応は、人工内耳を取り付けないケースでも見れているという点は、「聞こえ」を考えると非常に興味深い。電気生理実験は麻酔下という「聞こえていない」状態で研究をしているので、後期の反応がホントに聞こえに結びつくのかは不明。

Science. 2005 Dec 2;310(5753):1490-2.
Restoration of auditory nerve synapses in cats by cochlear implants.
Ryugo DK, Kretzmer EA, Niparko JK.
後半扱った論文。
先天異常のネコで、もともと巨大なエンドバルブがなぜさらに巨大化していたのか?可塑性研究という点で興味深い。使われないとエンドバルブは肥大化する、という解釈で良いのか?次のレベルのcalyces of Held(これもエンドバルブに並んで大きいシナプス)でも似た構造変化が起こっているのか?

The Central Auditory System
聴覚系の教科書。
第一章で、聴覚経路の解剖と生理の概要が網羅されている。以下の章は各論、という構成。第一章だけでも膨大な情報を得ることができ非常にお薦め。主にネコの研究が集約されている。

さらに文献
J Neurosci. 2007 Dec 5;27(49):13541-51.
Electrical stimulation of the midbrain for hearing restoration: insight into the functional organization of the human central auditory system.

Lim HH, Lenarz T, Joseph G, Battmer RD, Samii A, Samii M, Patrick JF, Lenarz M.
長くなりすぎて今回扱えなかったごく最近の論文。
聴覚神経を腫瘍等のために切除して人工内耳の恩恵を受けられないケースもある。現在、聴覚経路の他の場所を刺激する神経プロスセティックスの研究が進められている。この論文は、神経線維腫症2型という疾患で聴覚障害になった3人の患者さんの臨床研究。下丘をターゲットにした神経プロスセティックスの報告。現時点では、人工内耳のようなメリットは期待できない。が、少なくとも蝸牛核を対象にしたプロスセティックスと同等のパフォーマンスを示し、かつ手術のリスクが低いというメリットはあるようだ。実用レベルに到達させるにはもっと基礎研究も含め研究を進める必要がありそう。個人的に思うのは、下丘でどのように音の情報が処理されているのか細胞レベルでもっともっと深く理解できれば、聴覚機能を回復させるためのより適切な刺激方法のヒントが得られる気がする。聴覚神経と同じロジックで刺激してはまずい気がする。なぜなら、下丘に到達するまでに相当な処理が行われているだろうから。基礎と臨床両方の連携が必要な気がする。


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