日本ではすでに年が明けていようが、大多数の方が2008年にこのエントリーを読むとわかっていようが、まだ2007年である。
ということで、今年2007年に亡くなった偉大な研究者を偲びながらエントリーをたててみる。
Benjamin Libet。
7月に亡くなった。享年91歳。wikipediaによると、ヴァーチャル・ノーベル賞を2003年に受賞したそうで、こちらで「アットホーム」な雰囲気の受賞講演のムービーを見ることができる。
Libetは実験的な意識研究のパイオニアで、自由意志のディベートに科学的なデータを提供したことでも有名。
その1983年に発表した論文では、主観的報告と時間解像度の高い脳活動計測、さらに筋電活動計測を組み合わせて、自由意志的な気持ちが湧き上がる数百ミリ秒も前に、すでに脳が活動し始めていることを示した。自由意志はイリュージョンである、という考えを強くサポートする研究と位置づけられている。
その後の研究のフォローアップとしては、自分が知る範囲では、Haggardという人の研究が重要か。今年もfMRIを使った研究で、Libetの言う自由意志の存在可能性の余地として唱えた「拒否権」を発動する脳の場所は、ブロードマン9野の一部ではないか、と主張する論文を発表している。
それはそれで良いのだが、個人的に気になるのは、どうやってreadiness potential(準備電位)が生じるのか?というメカニズムの問題。
その前に、readiness potentialとは何か?
RPと略す。どんな脳活動かというと、単純には、実際行動が起こる前に生じる脳活動。それだけでは味もそっけもないから、Libet実験のスパイスを絡めて「セクシーさ」を出してみるとこう:
Libetの実験では、2.5秒くらいで点が時計のようにグルっと一周するモニターを人に見せて、自由なタイミングでボタンを押してもらう。すると、ボタン押しに関連した筋肉の活動より500~700ミリ秒前にそのreadiness potential(RP)が高次運動野あたりに見られることを示した。自由意志というか、インテンションというか、運動を起こそうという気持ちを感じるのは筋活動より300ミリ秒前くらい。実験的には、モニターの点がどこに来た時にその意志が生じたか、あとで教えてもらって、その点から筋電、RPがおこったタイミングを比較すれば、時間順序を知ることができる。Libetの実験データは、RPが始まって数百ミリ秒後にようやく自由意志を感じる、という解釈ができる。
その文脈では、RPは自由意志を感じる前に起こる脳活動、というセクシーな説明もできる。
ちなみに、Haggardの後の再現実験では、RPというよりも、lateralized readiness potentialが「インテンションの気づき」となじむということを提唱した。lateralized readiness potential、偏側性準備電位という難しい訳がウェブで見つかる。lateralizedとは、例えば右手でボタンを押す場合、脳活動が左脳だけで見れるからlateralizedという修飾語がRPについている。LRPと略す。
話がそれた。
LRPなりRPなりなんでも良い。Libetの研究を踏まえて自分が抱く問題は少なくとも2つ。第一に、どうやってRP的な活動が勝手に・自由に生じるのか?そのRPが起こるタイミングを何らかの形で予測・予報できるか?つまり、メカニズムの問題。第二に、RP的な活動が起こった後にどうやってインテンションに気づくのか?気づくことに何の意味があるのか?つまり、脳活動から意識が生まれる仕組みと意識なり気づきの役割の問題。
ここでは、第一の問題を気にしてみる。なぜなら後者よりまだ手に負えそうな気がホンの少しだけするから。(後者の問題を来年の年の瀬くらいに考えるようになることが来年の課題です。。。)
とりあえず次の仮説的なことを考えてみる。
自由な判断でボタン押しをするという課題・文脈が与えられた時点(初期状態)で、押すべきか、押さざるべきかを考えている二つの脳状態・脳活動が同時に生じる。そして、「押すべし集団」の勢いが「押すな集団」を凌駕し、形勢が一気に「押せ」に傾いてRP的活動が生じ、それ以下のプロセスが連鎖反応的に・なだれ的に進み、ボタンを押す。
もしくはノーシンキングな集団とごく少数の「押すべし集団」がいる、という状況が初期状態と考えても良い。そして、「押すべし集団」の勢力が増していってRP的活動につながる。
では、その仮説(?)を示すにはどうしたら良いか?
実験的には、たくさんのニューロンの活動を同時に計測して、その二つの対抗勢力の勢力分布がどう変化するか調べ、RPというマクロ的な活動が生じていく様子を説明していけば良いか。そして、何がきっかけで形勢が変化するか細かく調べれば良いか。
計算論的には、この仮説をモチベーションにシミュレーションして、少なくともRPの発生を説明するネットワークモデルを考える、ということになるか?
後者はすぐにでもできそうな気がする。(もちろん自分はできないけど)
例えば、発想的にはCouzinの2005年ネイチャー論文に近いのはどうだろう。そこでは、情報を握った小集団を仮定して、個々のエレメントは誰がその情報を握っているのか知らなくても、バイオロジカルにもっともらしい単純なルールを想定するだけで、集団的意思決定を説明できることを示していた。このモデルで鳥や魚などの集団行動を説明できる。これをベースにして、アイデアをパクッて、神経ネットワークモデルでネットワーク状態の変遷を調べると良いのではないか。(と勝手な楽観的なことを素人だから書く)
では前者の実験的なアプローチをどう考えるか?
人では無理。なので、マカクなりげっ歯類なりハエなり線虫なりで調べるというオプションがすぐに思い浮かぶ。ハエや線虫だと、せっかく人の研究でCMAやSMA/preSMA周辺が大事という知見が得られているのに、その知見を応用するには距離がある。アブストラクトなレベルではだめ、という立場をとるとするなら、マカクなりげっ歯類ということになる。アブストラクトでOKなら、ハエは有力モデルであるのは確か。だから、ハエの研究にアンテナを張っておくと良いアイデアをもらえる機会がありそう。
それはともかく、今、マカクかげっ歯類で研究するとする。
主観的報告はあきらめても、リベット実験モドキ行動課題はできる気がする。(こう考えると、今の意思決定、行動選択という文脈でやられている研究の範疇に収まる恐れもあるのか。。。)
そして、その課題をやっている最中の神経集団活動をマルチ記録・イメージングなりでごっそり計測するということになる。今はネットワークのことを考えているから、単一細胞記録をやりたおしてバーチャルポピュレーションで考えても良い、という立場はたぶん取れない。(できれば相互作用も扱いたいから)
そして、できればネットワークの状態変遷を実験的に操作して、自由意志を操作されたロボットのような行動を引起せたら、かなりいい線いける。
この研究の場合、前頭前野のここのニューロン活動が中央実行系的役割を果たす、的なオチで終わらせるのではなく、下流のニューロンのことや、一見どうでも良さそうな「弱いリンク」にも注目しながら、ネットワークのことを考えてみたい。というかそれをしないといけない。
一見、意外とできそうな気もする。
というかRomoは文脈付けこそ微妙に違えど近いことをすでに手がけているように、こうして書いているうちに思えてきた。最近報告した論文で彼らの言う「noニューロン」は、入力寄り・出力寄りという点では違うかもしれないけど、上の「押すな集団」とアナロジカルなものと捉えられないだろうか。けど、彼はまだマルチ記録をバリバリはやってないはず。だから、相互作用という点でつっこんだことをやれてないはず。局所電気刺激はどの細胞のどこを刺激しているのかわからないし(電極周辺を通過している神経線維も刺激しているはず)、細かいところで非常に不安。ということは、Svoboda実験の方向で考えた方がやはり良いか?ただし、今の光センサーベースのツールは「レチナールの呪い」がどこかに潜んでいるような気がしないでもない。
それから、ホントにネットワークのことを考えるなら相互作用を扱いたいわけで、コネクトーム的な構造情報がないとかなりきつい気もする。。。なぜなら、ネットワークの重要な特徴は「弱い結合」にこそ潜んでいる可能性が過去の事例(例えばスモールワールドネットワーク)から考えられ、従来のほとんどの神経科学研究はその「弱い結合」を見落とす、除外するというバイアスがかかっている・かかっていたおそれがあるから。コネクトーム的なことまで必要だとすると、やはりマウスでやっていくのがベターなオプションな気もする。
大いに「ブーム」に沿った発想で、新しくない、という批判は自分でもよくわかっている。が、それほど悪い方向ではないように思う。こうしてみると、今世の中にavailableな技術を総動員すれば、こういう問題に超まじめにアプローチしていけそうな可能性がこの1,2年で見えてきたのではないか。
来年2008年の今頃。この考えが自分の中でどれくらい具体化しているか??それとも、この局所解から抜け出せるような次のブレークスルーが起こっているのか?
2007年の年の瀬、納めなければいけない目の前の仕事を納めずに、さらに発散させることを考えてみた。(現実逃避とも言う)
update:
リベット関連の本をいくつか。
12/31/2007
リベットと自由意志と2007年と
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2 comments:
Shuzoさんへ
2008年になりましたよ。
A HAPPY NEW YEAR.
です。
「プロ向け」なので、ど素人の自分が書き込むのは可笑しいですが、神学論争のような気がしますね。
キリスト教的には、
「神は人間に自由意志を与えたもうた」
となるのでしょうが。原始仏教の立場から言えば、
「心(自由意志)は幻想」
になってしまいます。
それにしても、scienceの分野まで“行動主義”の影響を感じるのはわたしだけなのでしょうか? (本当は逆ですよね。心理学を科学的に研究しようとして、最終的に単純化してscienceの手法を取り入れたために“行動主義”心理学になったんですよね……とわたしは理解しております)。
電気屋のわたしから見れば、自由意志というのは極論すれば、カオスとフラクタルの問題のように感じます。
例えば、“押す”か押さない”かは、人によって違うわけですよね。そこに個人個人が持っている“フラクタル回路”が働いているような気がします。当然、人によって“閾値”は違いますから、ある人は“押す”信号になるし、ある人は“押さない”(“閾値”以下)になる。フラクタル回路は、それぞれの個人が育ってきた環境で自己形成的に形成されてきた“回路”なので、そのランダムさを持って“自由意志有り”と判断しているような気がします。
電気屋の単純な考えで、本当はもっと複雑なのでしょうけど、ど素人の一つの意見として流してください。
本年も時々、お邪魔(本当に邪魔かもしれませんが……)させていただきますので、よろしくお願い(ご容赦)申し上げます。
Shuzoさんにとって、今年が益々の“飛躍”の年になりますよう願っております。
阿瀬王さん、明けましておめでとうございます。
> 本年も時々、お邪魔(本当に邪魔かもしれませんが……)させていただきますので、よろしくお願い(ご容赦)申し上げます。
このブログは、神経科学を直接研究されていない方との唯一の貴重な接点と思っています。コメントをいただけるのは非常にうれしく思っています。
今年もどうぞよろしくお願いします。
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