11/17/2007

一過的な不均衡化と脳の変化

学習や注意によって、ニューロンの活動の仕方が変化する。その変化を捉え、その仕組みを詳しく調べる研究は、昔から行われている。

最新のネイチャーで発表されたFroemkeたちの論文によると、ニューロンの反応が変化するとき、普段均衡している興奮性と抑制性の入力バランスが、一時的に変化することがわかってきた。

そのバランスが変化する時、まず抑制性入力が下がった後に興奮性入力が大きくなる。その結果、意味のある情報に強く反応できるようになる。そして、興奮性入力は大きくなったまま、一旦下がった抑制性入力は時間と共に大きくなり、興奮と抑制のバランスはまた均衡状態になる。こうして、すでに変化したニューロンの反応の仕方はそのままで、次なる変化(学習)に備えられる。音の情報を処理する一次聴覚野でそのようなことが起こることがわかった。

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では、論文を詳しく見てみる。
まずは今回の研究を理解する上で重要な予備知識として、今回注目した実験系、シナプス入力のバランス、の二つについて説明してみる。

実験系~アセチルコリンと学習
学習、いわゆる可塑性、を調べるための実験方法はたくさんある。その一つに、nucleus basalisNBと略)と呼ばれる脳の底にある神経核と聴覚野との関係を調べる実験系がある。NBという神経核には主にアセチルコリン性のニューロンがいて、脳の底から大脳新皮質全体へ出力を送っている。

今回の研究グループが行った有名な実験がある。
NB
を電気刺激する時に、ラットに特定の周波数の音を聞かせる。その後で聴覚野のニューロンがどの音に応答するか調べた。すると、その周波数によく反応するニューロンがたくさんいることがわかった。ラットがその周波数の音が重要だと学習すると、聴覚野のニューロンがその音によく反応するようになる、という解釈が成り立つ。

今回の研究は、この聴覚野のニューロンがどのように反応の仕方を変化させるのか、その仕組みに迫っている。

興奮と抑制の入力バランス
脳には興奮性と抑制性の出力を送るニューロンたちがいる(こちらのエントリーも参照)。一個のニューロンの入力信号に注目すると、ニューロンは常に興奮性入力と抑制性入力を受け取っていて、その二つの成分は(時間的にひらたくみれば)バランスがとれている。

今回の研究では、その興奮性、抑制性入力が学習(NBの刺激と音の組み合わせ)によってどのように変化するか詳しく調べている。

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さて、論文へ。(できればお手元に論文を用意してください)

興奮・抑制入力の不均衡化
論文としては図1。
ここでは、
NB刺激とペアで聞かせた音に対して、興奮性と抑制性の入力バランスが変化することを明らかにしている。興奮入力は増大、抑制入力は減少する。

実験では、NBを電気刺激する時、ラットに特定の周波数の音を同時に聞かせる。(ラットには麻酔をかけている)そして、NB刺激前後の一次聴覚野ニューロンの反応(入力成分)をwhole-cell記録という方法によって調べている。

一般的に、一次聴覚野のニューロンは特定の周波数にチューニングしている。
1kHzから50kHzの音を聞かせてニューロンの応答を調べると、例えば、4kHzの音に最も反応して、50kHzの音にはほとんど反応しないニューロンがいたりする。ちなみに、ベストな反応を引き起こす周波数をbest frequency(最適周波数?)と呼ぶ。

では今、もともと4kHzの音にチューニングしていたニューロンがいて、それから活動を記録したとする。そして、NB刺激を行う時に、最適ではない2kHzの音をラットに聞かせる。

すると、NB刺激後、興奮性の入力成分はその2kHzで最も大きくなり、最適だった4kHzでの興奮入力は小さくなることがわかった。一方、抑制性入力は、2kHzで小さくなることがわかった。つまり、NB刺激とペアで聞かせた音に対して、興奮性と抑制性の入力バランスが変化することがわかった。

そのバランスが変化した結果として、ニューロンの出力である活動電位(スパイク)も2kHzの音を聞かせた時にたくさん発生することもわかった。

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不均衡化が起こる順序
論文では図2。
ここでは、抑制性入力の減少がまず起こることがわかった。

NB刺激は2-5分間行っている。そのNB刺激中の反応変化を調べたのがこの図2の結果になる。

NB刺激と音刺激を始めた直後から抑制性入力の減少が観察され、興奮性入力の増大は少し遅れて見れることがわかってきた。

つまり、不均衡化が起こる順序は、
抑制性入力の減少→興奮性入力の増大
となる。

さらに、この変化は、NB刺激によって放出されるであろうアセチルコリンの効果であることを確かめている。そのために、アトロピンというアセチルコリン受容体のブロッカーを一次聴覚野に直接投与して同じ実験をしている。すると、興奮・抑制入力は共に変化しないことがわかった。

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どこで変化が起こるか?
論文中で図3。
ここでは、
NB刺激による変化は、視床ではなく一次聴覚野内の現象であることを明らかにしている。

学習がどこで起こるか?というのはいつも問題になる。
今回の研究では一次聴覚野で調べているから、一次聴覚野で変化が見れたのは確か。だからといって、一次聴覚野の中で変化が起こったと結論はまだ付けられない。なぜなら、その一次聴覚野へ入力を送っている別の場所で、実は大きな変化が起こって、その結果が一次聴覚野で見れただけ、という可能性もあるから。

一次聴覚野へ入力を送っている場所は他にもたくさん考えられるが、真っ先に考えられるのは内側膝状体(MGBと略)という視床の聴覚関連核。

そこで図3の実験では、MGBからの入力と一次聴覚野に由来する入力、そのどちらで変化が起こったのかを調べている。実験としては、これまでの実験方法に加え、MGBと一次聴覚野内にさらに刺激電極を追加。それぞれからの電気刺激に対する応答を、NB刺激前後で調べている。もちろん、NB刺激中には特定の音を聞かせている。

すると、一次聴覚野内で電気刺激した時の応答は、これまで通り興奮性・抑制性共に変化していた。一方、MGBを刺激した場合の応答は、変化しないことがわかった。抑制性入力は元から観察されなかったとしている。

つまり、NB刺激による入力成分の変化は、一次聴覚野内の変化を反映したものだとわかった。もちろん、一次聴覚野へ入力を送っている場所はMGB以外にもたくさんあるので、それらの場所で変化が起こっている可能性は完全に排除はできない。けど、少なくとも一次聴覚野内で変化が起こったのは間違いなさそうだ。

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再均衡化
論文中の図4。
ここでは、一旦崩れた興奮性と抑制性のバランスが、1時間以上かけて再び均衡化することがわかった。

ここでの問題意識はこう。
普段、興奮と抑制のバランスは取れているのに、学習(
NB刺激と音刺激の組み合わせ)によって一旦そのバランスが崩れる。では、その崩れたバランスはそのままなのか、それとも再びバランスが取れた状態になるのか?ということ。

それを調べるには、一個のニューロンの反応を長時間調べ続ける必要がある。けど、それは技術的に難しい。一方、一次聴覚野には、同じ音にチューニングしたニューロンが近くに偏っていることがわかっている。もしそのニューロンたちが同じような変化をすると仮定すると、1個目のニューロンを記録中にNB刺激で変化を起こし、近傍の2個目、3個目のニューロンで、長期的な変化を追っていこう、という戦略を立てることができる。

その戦略で実際調べてみると、一旦下がった抑制入力が時間と共に大きくなっていく様子が見えてきた。一方、増大した興奮性入力は増大したままなので、例えば、16kHzから4kHzにチューニングした反応はそのままで、崩れた興奮・抑制バランスが再均衡化する、というなんとも美しい話になる。

なお、NB刺激後に音をならさずに、そのまま放っておくと、不均衡化はより長く続くこともわかった。つまり、この再均衡化は活動依存的、ということになる。

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まとめ
NB刺激によって起こる一次聴覚野で起こる可塑的変化では、まず抑制性入力が減少した後に興奮性入力が増大する。その不均衡化は1~2時間で再び均衡状態になる。その際、興奮性入力の増大は維持されたまま、一旦減少した抑制性入力が増大する。結果として、NB刺激によって起きた変化は維持され、経験の痕跡となる。

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個人的な感想

この論文、新規分野を開拓というわけではないかもしれないが、多くの神経科学者へインパクトを与える超重要な論文だと思う。

他の感覚系で可塑性を研究している人たちはもちろん学ぶことが多そう。アセチルコリンが絡んでいて、一次聴覚野内で可塑的変化が起こっているなら、今後スライスレベルの研究に落として、詳しいメカニズムを調べるという方向もあり。1,2時間で再び均衡化するという現象と、シナプスの構造変化や分子レベルのメカニズムと絡めて考える研究者もいそう。今回の結果を信じると、抑制性入力の変化は非常にダイナミックなわけで(しかも刺激依存的)、それを支える仕組みを調べることは、今後の一つの研究トピックになる気がする。

この論文、実験内容はもちろん、論文としてのアウトプットの仕方という点でもすばらしい。

実験内容
技術的に難しいことをやってる点がすごい。最近は、
in vivo whole-cell記録はいくつものラボでやってるからともかく、それにNB刺激実験を組み合わせて1回1時間近くの記録をやっている。特に、図3の実験、多くの人は手を動かす前に断念しそうなくらい大変そう。それをやってる。こういうことをしっかりやるというのが、良い論文を書くには重要なのだろう。

論文の書き方
実験内容とデータだけでも十分ネイチャー論文のレベルに達してると思うけど、論文の書き方という点からも非常にお手本になる論文だと思った。例えば、要旨。広い聴衆をひきつけておいて、発見内容のエッセンスを書いて、言いたいことを言って締めくくっている。

本文も簡潔な導入で、ストーリー性のあるクリアな記述。さすがネイチャー論文という気がした。

べた褒めするのもなんなので、ちょっと気になったこと、つっこみどころを、専門度を上げてつぶやいてみる。

麻酔、脳状態が変わるとどうか?
もちろん、今回のような実験は麻酔下の動物でないとできないので(この論文が出たから覚醒下でやってみようという人も出てくるか?)、麻酔を使うのは良い。今回使っている麻酔はこの研究グループが一貫して使い続けているペントバルビツール。これは気にした方が良さそう。

この麻酔は抑制作用が他の麻酔よりもかなり強烈なことで有名。例えば、いわゆるUPDOWN状態はほとんど見れず、脳状態はDOWN状態のまま。その意味では、睡眠中の動物の脳でも絶対に見れない脳状態で研究したということは気にしておく必要がありそう。

実際、聴覚系の研究で、麻酔薬の違いで、研究結果が食い違うことも知られている(参考文献を)。ということで、今回の研究結果は、今後、よりナチュラルな条件でどんなことが起こっているかを調べる良い仮説を提唱した、と捉えても良さそう。

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細胞多様性とさらなるメカニズム
多様な細胞種すべてに同じルールを適用できるかは、今後の一つの課題。
記録した深さは400-1100ミクロンとある。細胞種の記述は一切ないがたぶん錐体細胞だったと思われる。ということは、3-5層あたりの錐体細胞を中心にサンプルしたことになるか。ということは、3、4層の細胞で今回の結果が見れたというのは、本当か、特に図3がちょっと気になるところではある。ちなみに、3、4層は聴覚野では、視床からの入力を強く受けているところ。3層の一部や5層細胞の記録で、視床刺激によって抑制性入力が全くみれなくて良いのか、ちょっと疑問。例えば、フィードフォワード抑制の回路は全く働かないくらい小さな電気刺激だったのか?

細胞種という点では、個人的には、もっと浅い層で調べたらどうか、というのは非常に興味あり。それから、抑制性入力が落ちるということは、もし抑制性ニューロンから記録したら、違う傾向を示すニューロンがいる可能性もある。そうでないとまずくないか。このあたり、さらなるメカニズムを知るための大きな課題になりそう。一応、抑制性ニューロンから
in vivoパッチやってる研究もあるけど、技術的に大きな壁が立ちはだかっている。イメージングでアプローチするのも、克服すべき問題がたくさんある。(シナプス入力成分をどう解析するか?)とにかく、細胞多様性とさらなるメカニズムの研究は個人的には最も興味のある問題。

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STDPは起きないか?
今回の論文のsupplementary Fig.4、実は面白い。STDP的な可塑性を観察できていないことを示していると理解した。このあたり、実験デザインがSTDPにフィットしてないだけなのかちょっと自分にはわからないけど、聴覚な人たちを中心に、ちょっとした論争になる気がする。。。

次は、今後の課題などを。。。

NBの役割
NBは覚醒時とREM睡眠中に激しく活動する
今回の結果、
REMと記憶の固定化の関係は希薄ということと、矛盾はしないとは思う。けど、REM睡眠中のアセチルコリン、いったい何をしているのだろう。

それから、NBの細胞はすべてアセチルコリン性というわけではなく、そうでないニューロンもいる。NBを電気刺激すると、その両者が活動するだろうから、NBにいる非アセチルコリン性ニューロンも今回の現象に一役かっている可能性はないだろうか?(アトロピン実験はあるけど)

少なくとも、ニコレリスたちの説(参考文献参照)と矛盾しないか気になるところ。その説では、非アセチルコリン性ニューロンの活動は、皮質での脱抑制、ガンマオシレーションのトリガーに寄与しているのでは?としている。脱抑制という点では、今回の結果と同じなわけで、脱抑制的現象が単にアセチルコリンだけで説明できるのか、そうでないのか?(時間スケールの違い?脳状態の違い?)

わからないこと
アセチルコリンによって、多くの抑制細胞の活動が抑えられ、つまり脱抑制が起こって、興奮性が上がる。それはたぶん良い(上のニコレリスの説はおいといて)。けど、どうやってペアリングされた音に対してのみその変化が起こるのか?ペアリングした音はもともとの最適周波数ではないから、その音を最適周波数とするコラムから来る側方抑制が減る、ということになるのか?とすると、興奮・抑制の不均衡化とうまくなじむか。つまり、側方抑制と馴染が悪い興奮抑制の均衡化、ラット一次聴覚野では一時的にその側方抑制の効果が顔を出す、と理解すれば良いのか。

逆に、もし最適な周波数でペアリングしても同じことが起こるのか?それとも何も起きないのか?ちょっと興味がある。けど、これはマイナーか。

一過的な興奮性の増強を長期的な変化にしつつ(今回のデータでは区別できていないけど)、抑制性入力を再び増やす仕組みはいったい何か?前者は、過去にさんざんやられてきた可塑性研究とリンクさせられそうだけど、後者はどうか?時間スケールの違う現象が少なくとも二種類の細胞集団(興奮性と抑制性ニューロン)でごちゃごちゃ込み入っていてなかなかイメージしにくい。

とにかく、この研究から派生する研究・問題はたくさんありそう。

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参考文献

Nature. 2007 Nov 15;450(7168):425-429.
A synaptic memory trace for cortical receptive field plasticity.
Froemke RC, Merzenich MM, Schreiner CE.

今回紹介した論文。

Science. 1998 Mar 13;279(5357):1714-8.
Cortical map reorganization enabled by nucleus basalis activity.
Kilgard MP, Merzenich MM
NB
刺激によって一次聴覚野ニューロンの反応特性が変化することを示した。

Nature. 2003 Nov 27;426(6965):442-6.
Balanced inhibition underlies tuning and sharpens spike timing in auditory cortex.
Wehr M, Zador AM.

一次聴覚野では、興奮性と抑制性入力のチューニングが均衡していることを示した論文。それに加えて、彼らの言う「バイナリースパイキング」のメカニズムを説明している。(バイナリースパイキングはいろいろ物議をかもしてはいるが。。。)

Neuron. 2005 Aug 4;47(3):437-45.
Synaptic mechanisms of forward suppression in rat auditory cortex.
Wehr M, Zador AM.

メインポイントというわけではないが、麻酔によって見える現象が違うことを示している。今回紹介した話もこうなる可能性は十分ある。

J Neurophysiol. 2006 Dec;96(6):3209-19. Epub 2006 Aug 23.
Fast modulation of prefrontal cortex activity by basal forebrain noncholinergic neuronal ensembles.
Lin SC, Gervasoni D, Nicolelis MA.

ニコレリスの説。ただ、この論文では、非アセチルコリン性ニューロンの分類根拠はあまりにも弱いので、どれくらいの人が信じているかは不明。今回紹介した論文と全く関係ないかもしれない。(こちらで説明済み)

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