2/17/2008

研究者とニューロンの“生きるすべ”

大学院生やポスドクの研究者としての将来は、今やっている研究が世にどれくらいインパクトを与えるかで決まる。例えば、研究結果を論文という形で科学雑誌に「アウトプット」する。そして、他の研究者たちがその論文をたくさん引用してくれそうなら、つまり、ネイチャーやサイエンスといった「インパクトファクター」の高い雑誌に論文を出せれば、准教授や教授などの「テニュア職」を得て生き残るための道が拓ける。

仮にテニュア職に就いても、自分の研究分野で確固とした地位を築き上げるには、引き続き他の研究者にインパクトを与え続ける必要がある。もちろん、一旦生き残れることが決まったので、インパクトを与えなくても良い。ただし、他の研究者とのネットワークは希薄になる。

ここで、研究者への「インプット」は、過去の文献や自分の研究データ、さらには他の研究者からの口コミ情報。「アウトプット」は論文となる。他の研究者とのネットワークを拡張・維持するには、アウトプットの結果他の研究者から返ってくる良いフィードバックが重要となる。良いネットワークを構築できれば、入ってくるインプットも増える。

とにかく、より良い研究環境で生き残るためには、インプットの結果をアウトプットして、相互作用している相手にインパクトを与え続ける必要がある。

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脳も同じではないか?

つまり、ニューロンは、他のニューロンからたくさん入力を受けて、活動電位・スパイクとしてアウトプットを出す。そうして他のニューロンたちと相互作用する。そして、その出力先のニューロンから良いフィードバックをもらえれば、神経回路内での自分の立場を確固としたものにできる。

ニューロンの“生きるすべ”は研究者のそれに似ているかもしれない。

というのが、うちのボスが最近出した論文の主張である。
その論文は、彼の仮説を世に問う論文。なので、その仮説が本当かどうかは実験的に検証される必要がある。

その仮説は、論文での言葉を借りれば次の通り:

strengthening of a neuron’s output synapses stabilizes recent changes in the same neuron’s inputs.


今、ニューロンAがいたとする。
まず、そのニューロンAの出力側のシナプスが強まる。すると、そのニューロンAの「入力側」のシナプスのうち、最近変化したものが安定化する。換言すると、ニューロンAの神経終末の強化が同一ニューロン内の最近変化したシナプスの安定化に寄与する。

ちょっとわかりにくいか。

論文中の図1にそのコンセプトがまとめられている。その図がわかれば、その論文で言わんとするところがわかる。

まず、入力側のシナプスが変化して、ニューロンAのスパイクのパターンが変化する。
その結果、もし出力側(神経終末)のシナプスが強化されれば、「逆行性シグナル(retroaxonal signal)」が軸索(axon)に沿って細胞体・樹状突起へ伝わる。そして、変化したばかりの入力側のシナプスが安定化される。
一方、もし出力側のシナプスが強化されなければ、逆行性シグナルは伝わらず、変化した入力側のシナプスは元に戻る。

アウトプット側の変化がインプット側の変化の生き残りに重要だ、ということがポイントになる。

「逆行性シグナル」の「逆行性」。通常、電気信号は細胞体側から神経終末へ伝わる。その逆向きに伝わるシグナルを考えているから「逆行性」という言葉が使われる。

そして、想定している「逆行性シグナル」は、シナプス間を伝わるものでも、電気的なものが軸索を伝わるものではなく、もっと時間的には遅いであろう「シグナル」のようだ。例えば、「神経栄養因子」が引き金となって軸索から細胞体へ伝わるシグナル伝達などである。

この仮説は、いわゆる人工知能というか人工ニューラルネットの研究、そして、実験的な神経科学、特に軸索側での化学反応とシナプス可塑性の関係を調べた研究にインスパイアされているようだ。

この仮説のもう一つのポイントは、「逆行性シグナル」は教師信号的なものではなく、すでに変化したシナプスの「選択圧」的な役割を果たす、という点か。つまり、最近変化したシナプスが生き残るかどうか、そのフィットネスは、逆行性シグナルが軸索→細胞体→樹状突起へすぐに伝わってくるかによる、ということ。

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この論文で扱っている内容は広い。
まずヘッブ則の応用の失敗と「バックプロパゲーション」を取り入れた人工ニューラルネットの成功について紹介。そして、その「バックプロパゲーション」と神経系での学習との関係はどうか?と考えを膨らませている。

そして、仮説のエッセンスを紹介。

続いて、どんなものが逆行性シグナルとして考えられるか?そして、それがシナプスの安定化にどう働くか?過去の実験事実を紹介しながら考察している。そして、後半ではシステムレベルの話として、海馬の「場所細胞」の研究との整合性を議論し、さらに大脳新皮質へも応用可能ではないか、と話を展開している。

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ちなみにボスがこの仮説を言い出したのは、2年くらい前だろうか。ラボ・ミーティングで、今こんなん考えてんやけど・・・という感じでラボメンバーの意見を聞いてきた。そして、ヨーロッパの学会でポスター発表したり、論文の謝辞にもあるように、同じビル内のブザキやパレなどに原稿を読んでもらって世に出たことになる。

自分が思うに、彼の仮説のポイントは、1つのシナプスというより、1個のニューロンに注目して可塑性を考えよう、というところなのではないかと思われる。これまでの可塑性の分子レベルの研究は、自分の理解では、
シナプス・樹状突起-細胞体
神経終末-細胞体
プレ-ポストのシナプス
といった具合で「1個のニューロン」という視点は少なかったのではないか?と思われる。

コロンブスの卵的と言われればそれまでだが、なかなか面白い発想の転換の気がする。そして、シナプスレベルの話をニューロンレベル、回路、システムレベルへ拡張して「学習」を考えよう、ということになるのではないかと思われる。
***彼から直接聞いたわけではないので、私の勝手な解釈です。オーバーフィッティング気味。

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ちなみに、このエントリーの冒頭のアナロジー、実はこの論文の結論部分をそのまま使った。(「ケン節」炸裂な締めくくりである)

さて、彼は仮説を提示することで、可塑性研究の分野に触手を伸ばした。さて、どんなフィードバックを受けて、彼の科学者としての位置づけが変化するか、今後に期待である。

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彼の仮説に興味を持たれた方は、ぜひ原文をお読み下さい。
このエントリーは、あくまで私が理解した範囲でしか書けていませんので、誤解もあると思われます。

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参考文献
Trends Neurosci. 2008 Feb 4 [Epub ahead of print]
Stability of the fittest: organizing learning through retroaxonal signals.
Harris KD.
今回紹介した論文。Opinionとして数ヶ月以内に掲載されるようだ。

人工ニューラルネットについて
Nat Biotechnol. 2008 Feb;26(2):195-7.
What are artificial neural networks?
Krogh A.
良いタイミングで人工ニューラルネットに関する良い入門文献が出ていた。ムチャクチャ読み易い。
これを読むと、論文の導入部のポイントが明瞭になると思われる。

おまけ。
Nat Cell Biol. 2008 Feb;10(2):149-59. Epub 2008 Jan 13.
Intra-axonal translation and retrograde trafficking of CREB promotes neuronal survival.
Cox LJ, Hengst U, Gurskaya NG, Lukyanov KA, Jaffrey SR.
ごく最近出た論文。
神経終末にあるCREBのmRNAがニューロンの生存に必要、という話。つまり、CREBが軸索内でローカルに翻訳されて、それが核での遺伝子発現を誘導し、細胞の生存に寄与する、ということを明らかにしている。

ボスの仮説の文脈で考えるとさらに面白い。
例えば、核内で軸索側と樹状突起側のシグナルの同期検出的なことが起これば、仮説にかなり近い気がする。。。先日、この論文を見つけてボスに話したら「もうin pressになったから、引用できんな。。。」と嘆いていた。

6 comments:

Anonymous said...

ども。ご無沙汰しております。
むかしのムーミンプーの論文でcultureしたニューロンからのトリプルパッチでpostで起こしたLTDがpreにspreadする、というものがありました。
Nature. 1997 31;388(6641):439-48.
Propagation of activity-dependent synaptic depression in simple neural networks. Fitzsimonds RM, Song HJ, Poo MM.
これは関係あるのではないでしょうか。その当時はこれはconnectionistがいうところのback propagationだ!とすごい衝撃を受けたものですが、あんまり続報が出てないようなのでどうなってんだろうかと思ってました。
ではまた。

Shuzo said...

pooneilさん、コメントありがとうございます。
端折った重要な部分を指摘していただいた感じです。ボスの論文でも、pooneilさんが指摘されたNature論文、それからLTPの選択的な伝播について調べた
J Neurosci. 2000 May 1;20(9):3233-43.
Selective presynaptic propagation of long-term potentiation in defined neural networks.
Tao H, Zhang LI, Bi G, Poo M.
そしてin vivoで分子レベルまで調べた
Nature. 2004 Jun 24;429(6994):878-83.
Rapid BDNF-induced retrograde synaptic modification in a developing retinotectal system.
Du JL, Poo MM.
を導入部分で引用しています。

ボスの仮説はそれが大人の脳で起こる学習のメカニズムとしても有効で、ひいてはヘッブ則の限界を超えた"neural representation"の形成メカニズムになるんではないか?と考えていると思われます。(これ以上私が勝手に話すと、誤解がさらに誤解を生んで彼の仮説を台無しにしそうなのでこの辺でやめておきます。。。)

Anonymous said...

どうもです。
Nature 2004とかは知りませんでした。「あんまり続報が出てない」とか書きましたが、どうやらわたしがフォローしてなかっただけのようです。
脱線というか関係あるような無いような:
このあいだ土谷さんが来たときに、ニューロンの情報のどのくらいのことがわかったらよいと思うか、というような議論になったのですが、(すべてのニューロン、すべてのシナプスを記述できたらいい、というのは置いておいて、)1個のニューロンに対する全てのpreのニューロンから来るEPSC,IPSCと全てのpostのニューロンへ送られるEPSC,IPSCとが記述することが出来たらずいぶんと良いのではないか、と私は考えました。(外界およびcognitiveな情報とそのダイナミクス=historyがわかるといい、というのはみな同じ条件として。)
(System biologyに対応する)system neuroscienceをどういう風にやるかという点で私としては、そういった局所的だけれども情報としては完全に記述できている状態から行けたらいいな、と考えてます。
もちろん逆の方向で、個々のニューロンのことはわからなくてもいいから、ECoGとかmultiunitとかでいいからとにかく脳のすべての領域から記録できたらいい、という方向性もあります。意識のことを考えたいならこっちから行くべし、というのも本当でしょう。そこで私がぱっと前者の方を考えたのはスライス出身だからかなとふと思いました。
書いてみたらあんま関係なかったかも。
ではまた。

Shuzo said...

コメントありがとうございます。
Pooの一連の研究、私はケンの仮説を知るまで、その重要性にすら気づいていませんでした。ですので、私のレベルはフォローするしない以前の問題でした。。。

さて、system neuroscienceの方向性ですが、私もpooneilさんと近いレベルからアプローチしたい派です。が、現時点ではどちらかというとローカルとグローバルの中間かもしれません。

pooneilさんが言われた「1個のニューロンに対する全てのpreのニューロンから来るEPSC,IPSCと全てのpostのニューロンへ送られるEPSC,IPSCとが記述することが出来たらずいぶんと良いのではないか」というのは、「全て」は無理にしても、局所回路の範囲内ならそれに近いことが割と近い将来現実化するかも?と私も楽観的に考えています。

ただ、文脈によって動的に変化するであろうその入力、出力まで勘定に入れようとすると、少なくとも私の脳のキャパを超えてます。(自分の脳内で行われていることだとしても。。。)

一方でpooneilさんの後者の指摘も全くもってそう思います。なので、fMRIを含めた他のマクロレベルの脳計測なども、自分ではやらないにしても、非常に大事だと思ってます。

これに関連するネタとして、例えば、先日Neuronに出たPetersenの論文は自分にとってはカルチャーショックでした。
http://www.neuron.org/content/article/abstract?uid=PIIS0896627307007635
マウスcortexのほとんどの領域から電位感受性色素を使ってin vivoイメージングしてます。しかも無麻酔下で。
論文そのものはあまりセクシーではないですが(苦笑)、そのsupplemental dataに「セクシー動画」満載です(爆)
1ショットでこれだけ多くを語るデータはなかなか無い気がします。(まじめな話)
これを見て、局所的に数百、数千のニューロン活動をごっそり計測しても、あるいは推定できても、脳全体がどう働いているかわからんな、、、と思いました。

意識の問題は、もし仮に全神経細胞(+グリアも?)の活動をモニターできても解ける気が未だにしません。
少なくとも思っているのは、計測した意識関連の事象をかゆいところにも手が届きそうな範囲でマニピュレートできないと良い研究にならないな、ということです。
なので、ローカルかグローバルかに加えて、現象をマニピュレートできる・できそうな系で研究するか?も重要なファクターな気がします。

あと、そんな良い実験をするための仮説・モデルがどうしても必要な気がします。
如何に詳細を知った上でアブストラクトな発想に持っていくか?ということでしょうか?
その意味ではMarrの再来に期待したいです。

とにかく道のりは遥かかなたまで続いてますね。。。
そこでリードを奪っているごくごく一部の人たちの追越を狙うか、それとも、リスクを負って別の近道を探すか、あるいは別のゴールを設定するかは、その人しだい、という感じでしょうか。

「システム神経科学者の生きるすべ」を議論する場になって良い具合です。
大感謝です。

Anonymous said...

Shuzoさんへ
素人の意見(言うまでもないですが)ですが、ボス氏の言わんとするところは十分理解できますが、では

>良いネットワークを構築できれば、入ってくるインプットも増える。

からと言って、そのアウトプットが必ずしも“質の高い”物ではないですよね。では、「質の高いアウトプットを生み出すのは、いかなるニューラル・ネットワークなのか」という大きな疑問にぶちあたってしまいます。

科学界にインパクトを与える程の“アウトプット”は、果たして、良いインプットと、ニューラルネットワークだけで説明がつくのでしょうか。ボス氏の論文を読んだわけではないので、その辺り、ボス氏がどのように纏められているのか解りませんが……。

ど素人の考えから言えば、そこにある種の“擾乱”(全然関係ない情報が紛れ込むこと)によって、稀に“デープ・インパクト”を持つ“理論”(アウトプット)が産まれるように思うのですが。Shuzoさんご自身はどうお考えですか?

Shuzo said...

阿瀬王さん、コメントありがとうございます。
ボスの仮説はあくまでも神経細胞の可塑性の話だけで、冒頭の研究者の話はあくまでもアナロジーでたとえ話です。(念のため)
それはともかく、

> 質の高いアウトプットを生み出すのは、いかなるニューラル・ネットワークなのか

「質」をどう捉えるか難しいですが、質が高ければ、出力先から良いフィードバックがくると考えてみます。
とすると、その出力先から返ってきた良いフィードバックが入力側の淘汰圧として働く、というのがボスの仮説のポイントです。

だとすると、質の高いアウトプットはそれを出し続けられるように入力側に淘汰圧がかかり、良い出力を出すための入力だけが生き残ります。
ということは、一旦質の高いアウトプットを出せると良い循環ができあがって、ますます良いネットワーク環境になる、という話になりそうです。

鶏が先か卵が先か?という話になりますが、そこに擾乱が一役かってるのは、そういう気がします。

ただ、
> ある種の“擾乱”

が、外部からのものか、内部のものか?を区別する必要がありそうな気がします。

外部から擾乱で質の高いアウトプットが出たとするなら、その受け手にしたら、それはもはや「ノイズ」ではなく、「信号」になる気がします。
「りんごの落下」は、一般人には「擾乱」だったでしょうが、ニュートンからしたらそれは重要な「観察データ」だったのではないかと。

一方、内部の擾乱・ノイズはこうです:
ニューロンも研究者も入力をそのまま足し算して垂れ流すだけなら「脳」はないですが、その入力をなんらかの形で変換・加工してアウトプットしていると考えると良いかもしれません。
その「何らかの形で変換させるもの」にノイズ・擾乱が働いている考えても良いかもしれないですね。
ですので、内部の予測不能な「ノイズ」も質の高いアウトプットに一役かってそうな気がしますね。

その予測不能な部分は研究者の場合「直感」でしょうか?
直感が働かない研究者は良い入力を受けても良いアウトプットをできずに、入力以前に研究者そのものに淘汰圧がかかりそうですね。。。
実際、脳が出来上がっていく過程でも、栄養因子をもらえなかったニューロンは死ぬようになってますから、研究者に似てる部分もあるようなないような。。。

う~ん、あまりまともに答えてない気もしますが。。。
すみません。